2012年10月28日に行って参りました。
関連記事 岩手日報
静かにお話される語り部の 實吉義正さん
波の高さ
大船渡11,8メートル
陸前高田15.8メートル
それは、四階建てのビル高さに匹敵する、史上稀をみない波の高さ。
実際の津波は波ではなく、立ち上がった巨大な水の壁だった、そのまま真っ直ぐ巨大な水の壁が進んでくる。
山や高台から見た方々のお話を聞くと最初は火事かと思った、煙が舞い上がるようにみえた、それは煙ではなく、水が進むことによって砂埃が舞い上がる、その煙がパタッと落ちたと思ったら、次の瞬間真っ黒い壁がダーーーっと押し寄せる。
それが今回の津波です。
三陸海岸リアス式海岸には、史上三回の巨大な津波が起こっている、明治29年、昭和8年、昭和35年にも津波がきてるんです。昭和35年の津波は、私は高校2年生の頃でした。その津波を経験しているけど、今回の311の津波はその時の比ではない、35年の津波を経験している人達は高田松原の海岸には昭和35年以前には堤防が築かれていなかったけど、チリ地震によって6メートルの堤防が築かれた。今回の津波でも6メートルの堤防があるから、いくら大きな津波がきてもここまでは来ないよ、うちは三階建だから大丈夫、チリ津波は第一波が低く、第二波がくるのが遅かったので、その当時を知っている人たちは、避難したあと一度、家に位牌や着るものを取りに戻る方々が多かったんです。
そして、パネルを指し示しながら、實吉義正さんは淡々と静かにお話を続けられました。
ホテルの屋上に避難している人の映像や
水が引いたあとの街の様子、倒壊した家屋
街の中の翌日くらいの大船渡の風景
船が流されてきて壊された家々の映像。
とりあえず道路の瓦礫を撤去した、これらの画像は瓦礫が無くなったのではなく街の集積所に瓦礫は今も積み上がったままなんです。
大潮になると水が入ってくる道路。
地盤が70センチくらい沈下しているので大潮になると水がはいるので嵩上げしないと車も通れないんですよ。
瓦礫の処理についての問題。
現在の進捗状況、復興、復活にかけるには、まず瓦礫の処理をどのようにするか。
被災地の仮設に住んでる方々、隣の市町村に住まいを移された方々、若い方々は移籍して仕事を探している状況。
仮設住宅の生活、みなし仮設の方々のお話、建物を解体するか残すかの様々な気持ちが存在するアンビバレンス、これからのこと。
實吉義正さんは、沿岸部の現状を30分以上休むことなく、声を枯らしながら私達に語り続けて下さいました。
在りし日の陸前高田の海のパネルを見ながらお話を伺いました。
- お話して下さる實吉義正さん
- 在りし日の高田松原
東日本大震災で甚大な津波被害を受けた岩手県陸前高田市の地域コミュニティー再生に向けたプロジェクト:高田西地区のマスタープラン
- 陸前高田について/高田西地区マスタープラン画像1
- 陸前高田について/高田西地区マスタープラン画像2
- 施設概要コンセプト
お話をされる濱守栄子さん
陸前高田展~今日まで、そして未来へ HAMAさん
陸前高田展~今日まで、そして未来へ HAMAさん 続き
陸前高田展~今日まで、そして未来へ サスケさんミニライブ
見上げる、希望の一本松
見上げる、たかたのゆめちゃん
- キセキの一本松を残すために
- 希望の一本松
- 美しい
- ゆめちゃんが生まれる瞬間のようです。